これからのセイバーメトリクシャンの対話方法

2020年6月25日木曜日

セイバーメトリクス

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セイバーメトリクシャンだかセイバリストだか。

バント検証記事を執筆するに至った動機・経緯 - 八九余談
http://blog.livedoor.jp/hakkyuyodan/archives/22859404.html
こちらを読んで考えたことをTwitterに連連と書こうと思ったのですが長すぎるのでブログの記事にします。

記事の内容はタイトル通りバント検証に至る経緯を語るものなのですが、バント支持者及び支持論はもううんざりと言った感じでばっさり切り捨てています。

>しかし、私があえてそのような言葉でとどめず、記事にあるような長ったらしい注釈をつけたのは、そうした言葉が「文字通りの意味」を超えて好き勝手に解釈される状況を見飽きるほど見たからである。
>変に甘やかさずにバントが大好きな人たちに自分の手と頭を動かして検証をさせるべきなんだ。


ここの部分なんかはかなり手厳しく突き放していますね。
氏が抱いていたバント議論に対する感情は実に共感できるものなのですが、それでは何故今までバント支持論が「甘やかされてきた」のでしょうか?


野球の常識やセオリーというのは昔より伝わってきたものがそのまま信じられているものが多いです。打率至上主義だとか打順の役割だとか。
特に、それを提唱したのが権威のある人物であればあるほどより根強いものになります。「王がボールを上から叩く練習をしていたからそれが打撃の最適解」「ノムさんがリードをダメ出ししていたからこの捕手は駄目」といったように。
この野球を見る・プレイするときの考え方の基礎になる部分は大抵は子供の頃に植え付けられますから、本人が意識しないうちに固定観念と化してしまい、もし後に非合理的であることが判明してもなかなか考えを変えるのは難しい。

中には考え方を変えることに抵抗のない柔軟な人もいますが、横から突然喧嘩腰で「この選手は打率が高いだけでクソ!」みたいに絡んでいっても、まあ反感しか買いません。
新しい常識を浸透させたいのであれば、できるだけ受け入れやすい言葉を選び、少しずつ考え方を変えさせる必要があります。一朝一夕にできることではなく、ある意味では宗教の教えを説く行為に近いかもしれません。

なお、この辺の言い方の問題に関してはbaseballconcreteが以前素晴らしい内容の分析記事を書いており、自分はその影響も強く受けています。

野球におけるフレーム問題
http://baseballconcrete.web.fc2.com/alacarte/framing.html


以前このブログでQSに関する記事を書きましたが、筆者はQSで選手を評価したことはありませんしQSでの評価も推奨していません。それでもQSを必要以上に否定はしませんでした。何故なら記事の主題はそこではありませんし、QSを重視する人にとってそういった文面は記事全体を拒絶する要因になりかねないからです。
本来であれば読み手の心情は深読みしすぎではないかというくらい配慮すべきなのです。

バントを否定する内容の分析は過去にも沢山あります。
そして、大抵は冒頭の記事にもある通り、最後に「ただしバントが有効な場面もある」と反論する文章が入りますが、実際に明確にプラスと言える場面は相当なレアケースです。
これは、そういったケースを定量的に導く研究が(少なくとも日本では)多くなかったこともあるでしょうが、バントを肯定する余地を残す役割があったのではないかと筆者は考えています。
バントは野球のセオリーであり攻撃の常套手段と考えている人は、バントを唐突に全否定されると受け入れるのは難しいですし、時には大きな反発を生みます。そこで、あえて一部をぼかして肯定する部分を残すことで、それを防いでいるのではないかと。

これはバントに限った話ではありません。
「OPSはリードオフマンを評価するのに向かない」「統計的には最良だが精神的な要素を考慮していない」といった注釈。これらも誤りではありませんが、間違いなく言葉の意味以上に独り歩きしすぎています。
が同時に、100:0で断じるのではなく主張に逃げ道を残すことで、段階的に受け入れられるようにする役割を担っているように感じられます。その点ではプラスに働いている部分もあると言えるでしょう。


しかし、10年前と比べても、ファンも選手も考え方は大きく変わりました。
各種スタッツはそれなりに広く浸透し、OPSやK/BB程度ならスポナビに掲載され、選手が口にすることも多々あります。勝ち星で投手を評価する機会は減り、沢村賞の選考委員ですらQSを基準に入れたいと言っています。
それら全てが必ずしも良いことだとは思いませんが、いずれにしてもかつては考えられなかったことです。

これだけ価値観が変化を遂げている中で、なおも予防線を貼って逃げ道を残すというのは停滞を招くといいますか、かえって理解・発展を妨げてしまうのではないかと思うのです。
読み手の意識が変わったのであればそれにあわせてこちらも段階を引き上げ、正しいことは正しい、駄目なものは駄目と断じる。もしも誰かの検証に穴があると思ったのであれば、ただ否定に終始したり曖昧な表現でぼかしたりするのではなく、何故そうなると思うのか・あるいはそれで具体的にどう変わってくるのかを徹底的に洗い直す。
そういった建設的なやり取りを求めても良いフェイズに入っていると考えます。

とはいえこれも場合によりけりで、例えばバント不要論なんかは十分に周知されプロ野球でも2番に長距離打者を置くチームも増えてきた一方で、DIPS的な考え方はあまり馴染みが無く未だに「WARは三振が過大評価」なんて言われたりしていて、ものによって認知度や理解度に差が生まれています。
読み手の心情を重視すべきなのは今でも変わりはないと言えるでしょう。

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